私の疾患と出生前診断について

 私が胎児の頃、染色体異常ではないものの身体に異常が見つかった。しかし両親は私を生むことを選び、結果として私は心臓に異常を持ったまま生まれ、後に肥大型心筋症という厚生労働省指定の特定疾患(いわゆる難病)であるとの診断が下って現在に至る。

 肥大型心筋症とは、心臓のうち左心室の筋肉が肥大し、一度の脈拍で送れる血液の量が少なくなる病気である。とはいえ回数で補おうにも脈の速さには限界があるので、時間当たりで送れる血液の総量も減少し、前進に大量の血液を送らなければならないような運動ができなくなってしまうのだ。

 なお私は現在身体障害3級に認定され、筋肉の厚さは通常8mmから11mmであるところが、38mmもある。このように先天的に身体の異常を持って生まれた私にとって、この件は決して他人事とは思えない。

 そして身体障害により、健康であれば味わわずに済んだであろう悔しさや罪悪感に数えきれないほど悩まされてきた私にとって、むしろ出生前診断の普及や技術の進歩は歓迎したい事柄なのである。

 自分が先天性の障害を持っていながら、障害を持った胎児の堕胎増加につながりかねない検査を支持することは、矛盾しているように思う人もいるだろう。だが障害を持つことが、どれだけ本人に不利益や不幸をもたらす恐れがあるかということを身を以て知る私にとって、先天性の障害や疾患を持った胎児を堕胎することは、むしろ「辛い障害を歩まずに済むよう、生まれる前に楽にしてやる」ことだとさえ思え。

 まず、以下に私が小学校から高校にかけて受けてきた仕打ちの一部を記す。これらの原因が全て私の先天的な生涯や疾患にあるとは断定できないが、まず間違いなくそれらが原因であろうと思われるものも少なからず含まれている。

 なお、小学生の頃に校舎の四階から飛び降り自殺をしようとしたが失敗に終わっている。

・小学生の頃、羽交い絞めにされた状態で、顔に泥団子を投げつけられる。

・一日十回前後、あるいはそれ以上「馬鹿」、「死ね」、「できそこない」等と声をかけられる。小学校から高校まで、かけられる言葉や回数に差はあったが、十年以上ほぼ途切れることなく続く。

・小学六年生時、普段私を罵っていた生徒から「信頼できる」、「リーダーシップがある」などの理由で学級委員を押し付けられそうになる。幸い、担任が彼らの真意に気付いたため未遂に終わる。

・教室で他の同級生が見ているなか、力ずくで無理やり土下座をさせられる。その上、後頭部を踏みつけられる。

・読んでいた私物の本を突然奪われ、ページを破かれる。

・トイレに連れ込まれ、数人がかりで拘束した後にホースで水をかけられる。また、洋式便器の底に溜まっている水へ顔を押し付けられる。

・図画工作の時間で、製作中の作品を強奪された後に目の前で壊される。

・高校時代、同級生の男子生徒二人から性的な言葉でからかわれる。また他の生徒に、私とその生徒が性的関係を持っているかのような噂話を流される。後に、同じ相手から二人がかりで男性同士の性行為を強要されそうになるが、殴りあいの末に追い払う。

・高校二年時の文化祭で劇をすることになったが、事前に「この役だけはやりたくない」と何度も明言していた役を、私が不在の間に行われた話し合いで押しつけられる。前述の学級委員を押し付けられそうになった時と異なり変更をしてもらえず、そのまま演じる羽目に。

・上記の劇を練習していた際、登場人物がキスをけしかける場面があるのだが、それに便乗して複数の生徒が私と私を性的にからかった生徒にキスをさせようとする。幸い未遂に終わり、私が初めての口づけをしたのは、高校を卒業して19歳になってからの話である。

・体育の授業で持久走が行われた際、持久走を嫌う生徒から「お前は持久走をやらずに済むんだからいいよな」、「俺も心臓病にかかれば良かった」などと僻まれる。

・高校二年二学期の中間試験及び期末試験で、二回続けていずれも学年でただ一人の日本史の満点をとり喜んでいると、「障害者のくせに調子に乗るな」、「点数が良くても障害者じゃあなあ」と妬まれる。

・大学の指定校推薦の校内選考に漏れた際、それを知った複数人から「ざまあ見ろ」、「せいせいした」、「気分がいい」と笑いながら言われる。後日別の大学の指定校推薦を受けて合格するが、「たかだか○○大学かよ」、「そんなところなら俺でも入れる」と蔑まれる。

 このような言動を私が受けてきたのは、私の障害や疾患の程度が「中途半端」なものであったことが大きいのではないかと思われる。もし私が半身不随、さらには寝たきりなどといった状態であれば、そもそも普通学級に入れられず、従って集団の中で障害が目立ち、攻撃の対象にされることも無かったであろう。

 また最初はいじめられたとしても、何ら抵抗や反発をできないような状態であれば、いじめている側も面白くなくなって早く飽きが来たのではないかと考える。現に、罵りやからかいに無視を決め込んでいれば、いくらかは状況が改善された。

 加えて障害や疾患というものは種類や程度によって異なるが、その人間の人生に制限を加えることがままある。それが私のように先天性であり、かつ治療法が確立されていないものであれば、その制限は文字どおり一生ついて回ることになる。

 以下に、私が生まれ持った障害や疾患によって受けてきた制限を思いつくままに書き連ねてみる。

・学校の体育の授業に参加できず、別室で一人本を読むか、あるいはただ見ているだけという状態を強いられる。前者は別として、自分がどう努力してもできないことを周囲にいる他のほぼ全員が平然とやっている様子を見させられるのは、非常に悔しくまた無力感に襲われる。

・さらに、運動会や体育祭ともなればこの苦痛はより強いものになる。特に学年種目で自分以外の学年全員が出場する際には数百人の上級生や下級生、さらには保護者たちが見ている中、学年で一人だけ自分の席に取り残されるのだ。

 教師たちは口をそろえて競技に参加する同級生たちを応援してやれと言ってきたが、私は屈辱と歯痒さに耐えるのが精一杯で、応援する気持ちになど到底なれなかった。

・目の当たりにさせられることは少ないが、運動系のクラブ活動や放課後の遊びについても同じである。必然的に周囲と共有できる話題が少なくなり、疎外感を味わう。

・職業を選ぶ際にも、障害や疾患は足かせとなる。心臓に障害があれば自衛官や海上保安官、警察官、消防士等務めることのできない職種は数多い。また通勤や出張も体に大きい負担がかかってしまうため、仕事を選ぶうえで気を付けなければならない。

・通勤のみならず、通常の外出でも同じことが言える。たとえ走ることが無くとも、長時間歩いたり階段の上り下りを続けたりしていれば、心臓の痛みに襲われることが多い。

 もちろん、障害や疾患を持つ方々の中には私よりよほど生活や就労、就学に制限がかかる方が数多くいる。しかし逆に言えば身体障害3級の私でさえ、障害によりこれだけの制限や精神的、あるいは肉体的苦痛を強いられているのである。

 障害や疾患を持って生まれたとしても、中には幸福な人生を歩むことができる方もいるだろう。とはいえ少なくとも、障害や疾患を持たずに生まれることのできた人に比べ、遥かに困難なことであろうと思わずにはいられない。

 出生前診断や着床前診断だけでは分からない障害や疾患も当然あるだろうが、それを理由にこれらの対策を否定することは、子供の人生に対して無責任であると言わざるを得ない。子供のことを思うのであれば、避けられるだけの困難は避けられるよう、万全を尽くすのが親というものではないのだろうか。

 ましてや子供に、投薬や手術では治療が難しい異常があることを知りながらこの世に送り出すことは、私にしてみれば虐待も同然である。むしろ、子供が独り立ちしようと親が死んでしまおうとその虐待から解放されることがないだけ、一般的な虐待より子供にとっては大きな負担となる。

 障害や疾患の否定が、今生きている障害者や患者の生存や個性を否定することになるという意見もあるが、何もそれだけがその人の特徴ではあるまい。私が軍事に関する知識を自分の存在証明のひとつとしているように、他の部分で探せば、あるいは創り出せばいいだけの話である。

 中には、障害を持って生まれた子供はその体や親を選んで生まれてきたなどと言って憚らない者もいる。だが少なくとも私には自分の体を選ぶ自由も、障害を持ってなお生きるかどうかを決めることも、それどころか生まれるにあたっての覚悟を決める時間すら与えられた覚えがない。

 気付いたら、有無を言わさず今の体で生きることを強いられていた。ただそれだけである。こういった選択の自由や時間を与えられるのは、親だけなのだ。

 心身の異常や疾患を持っていても、生き方に不自由があるのは社会のせいだという考え方もある。そう考える方には、是非私のような疾患を持った人間が自衛官なり海上保安官なりとして生きるための現実的な方法を、具体的に教えて頂きたいものだ。それができないのであれば、理想論を言うのはやめて頂きたい。

 以上の理由により、私は出生前診断及び胎児の堕胎について以下のことを要求する。

一、両親の年齢や親族の既往歴に関わらず、希望者全員が出生前診断を受けられるようにすること。

二、診断の実施に当たっては、保険の適用などで可能な限り自己負担額を低く抑えること。

三、診断を受けるか否か選択させる際には、両親の年齢や親族の既往歴を基に、どのような障害や疾患がどの程度発生する恐れがあるかということを医師から想定される限り説明すること。障害や疾患により想定される出生後の胎児及び家族の肉体的、精神的及び経済的負担についても同様とする。

四、手術や投薬及び成長による解消や治癒が困難な場合は、胎児の障害及び疾患を理由とする堕胎を認めること(胎児条項の追加)。また、堕胎できる期間を出生直前まで拡げ、事実上の人為的な死産も許容すること。

 本心を言えば、少なくとも今後胎児の障害や疾患が判明した場合を除けば堕胎の意思が無いという場合には、全員が出生前診断を受けてほしい。また検査の費用は自己負担を要しないものとし、政府の支援の下で研究が行われて、今後より多くの障害や疾患が出生前診断でより確実かつ早期に発見できるようになっていくのが私にとっての理想である。

 とはいえ、例えば一年間に150万人の妊婦が20万円の費用を要する診断を受け、その費用を全額補助するとなれば、単純計算で年に3000億円の費用がかかる。そこで一時的な落としどころとして、現在のところは上記の四項目を要求するに止めることとする。

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